富永秀俊
2019年11月,香港にて
街の上に正論が 渦をまいているーー中村佳穂
香港で続いている抗議運動について、いろいろな文章を読むけれど、捉え方が違って驚くこともある。一つの事件について違う立場から捉えている場合もあれば、 まったく異なる事柄に注目している場合もあって、この運動全体を捉えるのは難しいなと思う。
僕自身も、二か月前に「冗長な都市、持続する運動」を書いて、 抗議運動と日常生活が並行しているという状況を、都市空間の仕組みから読み解こうとした。けれど、その状況も二か月間のあいだに少しずつ変わってきているように思う。
今から書いてみようと思うこと。まずは抗議運動のスローガンである「Be Water」がどういうことなのか考えながら、この運動の「捉えにくさ」について書く。 それから前の記事の続きとして、日常生活と並行していた抗議運動が徐々に日常生活に入り込んでくる様子も捉えたい。
...と書いているうちに事態がじわじわと変っていっているので、ちょっと足早に書きます。何か間違いや気付きなどあれば連絡ください。
「Be Water」という言葉は香港での抗議運動のスローガンとして広く認識されている。 この言葉はもともとはブルース・リーの言葉である。彼は「形がないこと」を強調したうえで「それでも何かに浸みたり、破壊したりすることできる」と言っている。
ではこの言葉はどのように解釈されているのだろうか。
まず、流動的に動きつづけるというデモの戦略になっている。これは雨傘運動(2014年)の際に、一箇所を占拠する運動が他の市民の支持を得られなかったという反省からもきているようだ。 (追記:「流動的に動きつづけるというデモの戦略」について、 デモの戦略がここ数カ月のものとは変わってきているとの分析 もあり、それによると昨日朝11月11日には小グループに分かれて全面的に交通を止める方針が取られたようで、しかもアナウンスが直前だったようだ。 もしこれが常習化すると、これまでの「事前アナウンスがある局地的な抗議活動」とは様相が変わってくるので注視したい。)
次に、あらゆる方法を使うという風に解釈されている。これは運動の一部が過激化したり、あるいは例えばトランプのような人物を香港の味方として持ち上げたり、 そういった「清濁併せ呑む」姿勢につながっている。これがこの運動の「捉えにくさ」の一端である。
最後に、この言葉が特定のリーダーを持たない状態にもつながっている。 特定の発信者がいないために、「捉えにくさ」の原因になる。 例えば日本で有名なアグネス・チョウ(周庭)さんが所属するデモシストというグループは雨傘運動の時は中心で、今回も存在感のある発信を続けているけれど、彼らがリーダーかというと違う。 他にも、一部の抗議者が代表として記者会見を開いたり、あるいは臨時政府立ち上げを宣言した者もいたが、それらが代表者ではないのである。 デモの多くは、チャットアプリの会話として「今日は休もう」や「今日はここに行こう」という話で決まっているらしいのだけれど、 そのチャットアプリのグループは誰でも入れるとても大きなもので中心メンバーがいるわけではなさそうだ。
もちろん抗議する市民たちに共通の要求はある。それでも幾つかある要求の第一要求でありこの運動のきっかけでもなった「逃亡犯条例の撤回」が通ったこともあり、抗議の内容も以前よりも分かりにくいものになっている。 いまの動機はむしろ、警察ひいては政府への不信と、中国本土への恐れ、香港人のアイデンティティの問題など、もうすこし複雑なものになっているような印象がある。 (動機については、香港中文大学の調査に詳しい。)
しかし私には、抗議活動だけでなく、社会全体に漂う緊張や混乱も同様に捉えにくくなって、いたるところに音もなく浸みわたってきているように感じる。 それは、ニュースでよく取り上げられるような暴力的な衝突が全面化したということでは(今のところ)なくて、街中に小さな意思表明や緊張が散りばめられ始められるようなイメージだ。 例えば、授業中にマスクをつける人が多くなった。
このマスクは、集会でのマスク着用を禁止する法律(いわゆる覆面禁止法)に反対する意志表明で、多くの同級生がしている(もちろん普段の生活ではマスクしても違法ではない)。 学生は抗議のことについて話しているわけではなく、普通に建築のプレゼンをしている。授業や講評会が緊張することはなく、教授と学生はいつも通りにやりとりする。 それはちょうど、東京で花粉が3分の1の市民の表情を覆い隠す季節のような、微妙な不便さである。
あるいは、私も含めて多くの人が、食事中や授業のあいまにデモや政治の動向をより頻繁にチェックするようになった。 こういうちょっとした変化が、ここ数カ月のあいだに増えてきたなとぼんやり思う。 ここから、その具体的な変化を僕が見ている範囲で描いてみたい。
多くの店が「抗議運動を応援します」というステッカーを貼るようになった。なので香港人の友人と出歩くと、彼らはこのステッカーをちょっと気にして、店を選んでいるのである。 一方で、抗議運動を否定している食品グループは抗議運動の際に破壊にあっている。普段は営業しているのだけど、ガラスをボードで覆っているので少し暗い。
いままで、多くは路上にあった掲示板「レノンの壁」が、店内に入り込んだりしている。 レノンの壁は抗議者が書いたメッセージが貼られた壁のことで、 抗議の意義を確かめるうえで重要な場になっている。
皆が平常時とくらべて出歩かなくなったため、デリバリーやオンラインショッピングが儲かっているらしい。 記事 (後で補足します)
このように、ちょっとずつ、抗議の場が路上から内部空間へと浸みている。そして抗議運動に関連した緊張状態は大学にじわじわと波及し始めている。後期が始まった9月からの2ヵ月間で起きたことを書いてみたい。
9月に大学の学期が始まった。建築学科での課題発表の冒頭で、一人の教授が 「Architects also stand up for the people」と書かれたポストイットを引用し、そ の通りだと頷いた後、制作とも両立できると自分の学生時代の体験を語り出したことを覚えている。三十年前、教授の留学先でも大規模な抗議活動やボイコットが大学であり、 彼はそこからも多くのことを学んだと述べたうえで、今学期は学生に配慮し、スタジオ課題は敷地を複数用意したり対応すると発表した。
授業ボイコットなども学期はじめでは一部あったが、私が所属する香港大では、学科レベルで救済処置や対応がとられた。 またポスターなどについても、私が所属する学科では、撤去する際には話し合いが行われ、最終的には投票によって撤去するかきめる制度とすることになった。 話し合いの内容はグーグルドキュメントとして共有され、学生がコメント出来るようになっていた。このころには、話し合いによって解決や折り合いがなされていた。10月から学長レベル 香港のいくつかの大学で、学長と学生の間での議論の場が設けられ、いずれもヒートアップした。まずは香港中文大学が学生との対話を経て、 警察の暴力性を注意する声明を出した。 私が通う香港大でも学生からの追求が行われたが、大学は学生たちの要求を退けている。 そのような中、先週(11/8)、香港科技大の学生が抗議運動で逃げる際に転落し亡くなった。科技大の学長は、条件付きではあるが警察の暴力性に抗議すると説明した。私も一人の学生として黙祷を捧げた。
香港の大学は優秀な大学が多く、英語で授業が行われることもあって、中国本土はもちろん世界から留学生が多い。 特に香港大・香港中文大・香港科技大・理工大・城市大は、 世界レベルの大学(簡単に把握するために世界大学ランキングを見ればどれも世界トップ100に入っていて、日本の東大・京大・旧帝大などと肩を並べている)で、 この大学競争激化の時代に、中央政府も香港政府も簡単に潰したがらないだろうということが予想される。 そのような国際的かつ独立した場所にも、この波は押し寄せるのだろうか。
この文章を書いているあいだに(一週間くらいかかっている)、どうやら状況は悪化したようだ。 まず、一昨日の晩(11月10日)匿名の質問が、クラスのあいだで行き渡った。 内容があまりにシンプルなので笑ってしまった。「明日の授業をボイコットしますかーはい/いいえ」 回答を迷っているあいだに、大学側から授業キャンセルのお知らせが届いた。
昨日、今日(11月12日)授業がキャンセルされたのだが、香港の幾つかの大学の付近で学生と警察の衝突があり、催涙弾が大学の敷地内に撃ち込まれたようである。 警察が敷地内に侵入したという情報もあるが今のところ定かではない。 そうしているうちに、またクラス内で質問が来た「今週の授業をボイコットしますかーはい いいえ」。
今回は編集権限をリクエストできるようになっていたり、説明文が加わったりしているのに好感を持てる。 また、結果を公開し、(理想を言えば投票の前に議論が必要だが)民主的に意見をまとめている点は、この混乱の中では小さな希望である。
抗議運動の中心は若者だから、路上での抗議への弾圧が増せば、大学まで撤退するよりないだろうと思っている。 僕自身は京大の熊野寮によく遊びにいっていたから、「敷地内に機動隊がくる」という光景はもちろん恐ろしいけれど、多少の既視感もある。 それにしても、いままで海沿いの平たい土地で展開していた衝突が、いよいよ大学のある丘に登ってくる、本当に洪水のようだと思う。
まず想起されたのは、映画「メトロポリス」の街が水に沈んて行くシーンである。
ここでは街が文字通り沈んでいくが、抗議者が彼らの選択として住む町を沈めたということがこのシーンに緊迫感を与えている。
あるいは先日、カミュの小説「ペスト」を読んだが、ここでもまた何かに浸っていく街が描かれていた。
この本では、伝染病に侵された街における住民たちの抵抗を描いている。 作者が第二次世界大戦でのナチス統治下で闘っていたことを考えるに、ペストは隠喩だろうと察せられるが、隠喩に留まらない生々しさが全体を通していると同時に、 「誰もがペストを持っている」という言葉を通して、 不条理に対する集団の振る舞いは抽象化・一般化され、やがて内面化される。実際、小説の前半部は、香港での不安定な数か月で自分が抱いた感情の「あるある」が続いていた。楽観と悲観について、彼はこんなことを書いている
「...たとえば彼らのなかで最も聡明な連中が、世間みんなと同じように、新聞紙上や、 あるいはラジオ放送のなかに、ペストの急速な終息を信ずる理由を捜すような素振りを見せて、空想的な希望をあからさまにいだいたり、 あるいは、どこかの新聞記者が退屈さにあくびをしながら、多少出まかせに書きとばした考察を読んで、根拠のない恐れを感じたりしているのが見られたものである。...」
そして個人のこだわりが浮き彫りになる非日常な状態から、均一な感想のみが残る状態までの推移も描写される
「...ぺストの初めの時期には、彼らは、他人にとってはなんの存在ももたないのに、彼らにとっては大いに問題であるような、 些細な事柄が沢山あるのに驚かされたものであったし、またそれによって個人生活なるものを体験していたわけであったが、 今では反対に、彼らは他人が興味をもつことにしか興味をもたず、一般的な考えしかもたなくなり、その愛さえも彼らにとって最も抽象的な姿を呈するに至った。...」 「...彼らがどれほどペストの蹂躪にゆだねられていたかは、時々もう睡眠中にしか希望などいだかなくなり、ふと気がつくとひとりでこんなことを考えていたりする始末であった ──「あのリンパ腺腫ってやつ、もうおしまいにならないもんかな!」...」
カミュは物語の中盤において、天災と犠牲者の構図を提示したうえで、「天災に与することを拒否しなければならない」と説くが、それらを外で起こっている事柄としてではなく、 全て個人の内面に関る実践として描いてる。香港の状況に想像を戻すと、「水のような」社会的緊張や混乱が私たちの内面を浸すときのことを常に気を付けないといけないなと思う。
以上、抗議運動が捉えにくい一因、そしてそうした捉え難い緊張状態がどのように都市全体に広がっていっているか部分的に描いた。 私はこの捉えがたい状況を、楽観するでも悲観するでもなく、そうしてあまり一般化せず、あくまで個人として見ていきたいと思っている。
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